ポーランド公演を前に 〜杜季女に聞く〜第一回
第一回
花崎杜季女師は2016年6月17日から6月30日ポーランドで地唄舞の公演とワークショップを行います。ポーランド公演を前にお話を伺いました。
☆海外に地唄舞の指導や公演にいらっしゃることになったきっかけについてお教えください。
╶─理由は二つあります。残念ながら日本人は自国の文化の素晴らしさを海外での評価から気づいて再認識する傾向があります。とくに邦楽ものについては若い方々に受け入れられない時期が長くありました。そこで、微力ですが海外の方に少しでも地唄舞を知っていただきその魅力をお伝えできれば、逆に海外から日本にむけて地唄舞を発信できるのではないかと考えました。
もう一つの理由は、自分でいうのはおこがましいことかもしれませんが、芸術(アート)文化といったものは、言葉がわからなくても叫ばなくてもわかりあえる心の交流、世界平和への道だと思っています。
☆これまでの海外でのお仕事についてお聴かせください。
╶─╴最初は夫のアメリカ転勤のときです。あちらで頼まれて指導しました。でもこの時には地唄舞を周囲のアメリカ人に充分理解してもらえなかったと思います。和太鼓と一緒の公演でも、太鼓はバンバンと派手に終わるものですが、私は地唄舞らしいフェードアウトしていく静かな終わり方、日本的な余韻に固執して、柔軟さに欠けていたことを反省しています。
その中で印象的なのは、戦時中カリフォルニアでの日系人の強制収容所で、ある日本人が月を眺めながら引き離されている家族を思い語りかける詞に振付けしたことです。またどこかで再演したいと願っています。
☆長谷川等伯の『松林図屏風』は日本美術の最高峰ともいわれていますけれど、あの絵を一瞥してフンという感じで無関心に通り過ぎていった外国の方を見たことがあります。ああいう「間」や「余韻」を美しいとは感じないのと同じことですね。外国の方に限らず、日本人にもお能のような芸術のかたちに退屈しか感じないひとはたくさんいますので。
╶─どこの国にも精神性を考えるひとたちとそういうものに重きをおかないひとたちがいます。恩師の閑崎ひで女先生のところには、モーリス・ベジャールのバレエ団のプリンシパルの女性、ナタリーさんという名前でしたが、地唄舞を習いにいらしてこともあるくらいです。モーリス・ベジャールは日本文化にも造詣が深く三島由紀夫をテーマにした振付などもしていますし……。
恩師のひで女先生はパリやデンマークで公演を行い高く評価されていました。平成二年にフランス芸術文化勲章シュバリエを受賞していらっしゃいます。
☆アメリカからご帰国なさって、その後の最初の海外公演はパリで
した。
╶─「無駄を極力排除し持続力を付ける動き」というテーマで、その中の一つとして地唄舞を持っていきたいというお話を、パリマラソンに参加なさる資生堂のランナー松田さん、東海大学教授の中村多仁子(芸名多仁女)さんから頂きました。東海大学はスポーツ科学に力を入れていて忍者のような和の動き、体育的潜在能力の研究で知られ、当時、末次選手の忍者走法が脚光を浴びており、話題となっていました。
この公演で確かな手応えを感じました。 ヨーロッパのほうが地唄舞を理解してくれると感じました。
☆次の公演はリトアニアでしたが、なぜリトアニアだったのでしょう。
╶─色々一段落して時間的な余裕ができたことや、これからグローバル化が益々進む世界で、地唄舞という日本文化をもっと広めたいと思いご相談した方が、たまたま日本リトアニア友好協会の理事の方
だったのです。当時の在リトアニア日本大使白石和子氏も文化交流に関心の高い方でした。
それでリトアニアがどのような国か知りたくなり、まず旅行者として行ってみました。静かな国で日本の精神性に似たもの、共通するものを感じました。キリスト教の国ですが、原始信仰が滅ぼされないでまだ生きていて、森の中にトーテムポールのような像もあり精霊の世界が生きているようでした。また、二十年前までソビエト連邦の支配下で属国でしたから、抑圧されてきた歴史があり、変わろうとしつつ、心の中にものをためながら生きている人たちだと思いました。
このような国なら地唄舞が理解されるだろう、是非地唄舞を観ていただきたいと思い、友好協会の関係者の皆様のお力もいただき2012年リトアニア公演を実現しました。
☆リトアニア公演の反応は如何でしたか。
╶─観客の皆さんの集中力がすばらしく、舞い終えてもしーんとしていてどうしたのかと思っていたら、その後熱い拍手でスタンディングオーベーションをしてくださいましたので感動しました。
リトアニアの中でも都市によっての観客の雰囲気の違いはありました。首都のビルニスは日本の東京の感じです。観客は少しシャイでクールな感じでした。カウナスは場所的には京都のような文化都市で気質的には大阪のようなところでした。ワークショップでは大変盛り上がりました。
カウナスにはオーグステという、日本が大好きで日本文化について子どもたちに教えている方がいます。私費で日本文化センター「鶴」を作っていらして、そこには着物もあるのです。そこに通っている子どもたちが着物で来てくれました。オーグステが京都で花嫁さんの衣裳を買い集めてきたり、ご両親が日本旅行のおみやげで買ってきたもので、それを背が高くてもきちんと着つけているのです。
リトアニア公演を通じて感じたことは、皆さんとても日本が好きで興味をもってくださっているということです。若者はネットで知った現代の日本の文化を、そして、年長者は、日露戦争で、ロシアに勝利した歴史に対しての敬意をもたれていることを感じました。
何より、地唄舞に対して、静の中にある動を感じて頂けたというアンケート結果に、手ごたえを感じました。
リトアニアには長い間自由な言論がなかったので、国民の何より
の癒しは音楽でした。音楽がとても盛んです。日本の東日本大震災のあとに一本の松の木が津波に耐え残ったことに触発されて「一本の樫の木」という曲を送ってくれましたので、その曲に振付をして舞いました。樫の木が風雨に耐えて立っていることを詞にしたもので、あちらの合唱団が歌ってくれて私が舞い、涙してくださる方もいました。これこそ、心の交流と感じられた瞬間です。
つづく
文責 珠真女