おちや乳人

歌詞

おちや乳人の癖として 背なに子を負い寝させて置いて 狗の子 狗の子と言うたものナ 目なかけそよ 花の踊りをナ さて 花の踊りを一踊り ここな子は幾つ 七つになる子が いたいけな事言うた

殿が欲しいと歌うた てもさても和御寮は誰人の事なれば 定家葛か離れ難やノ離れ難やノ 川舟に乗せて 連れて去のやれ神崎へ 閑崎へ さても和御寮は 踊り子が見たいか 踊り子が見たくば 

北嵯峨へござれノ 北嵯峨の踊りは つづら帽子をしゃんと着て踊る振りが面白い 吉野初瀬の花よりも 紅葉よりも 恋しき人は見たいものよ

所々御参りゃって 疾う下向召され 咎をば乳母(いちゃ)が負い参らしょう

解説

本調子 作詞作曲者不明。元禄期の子守歌及ぴ狂言小舞謡「七ツになつ子」(北嵯峨とも)に拠る。本調子で、途中から三下りになるほか、最初から出るものもあった。宝暦七( 一七五七)初出。冒頭の詞章を抜き、「ここな子はいくつ、七ツになる子が いたいけな事言うた」から舞う場合、「七ツ子」と称する場合もあるが、「七つ子」は三味線組歌奥組の一っに別曲があり、混乱を避けるためにも本曲は通常「おちゃめのと」と称されている。表記は「お乳やめのと」「おちゃ乳人」などいろいろ。「おちやめのと」との曲題はむろん冒頭の歌詞からであるが、「おち(御乳)」は責人の子の乳母「御乳人(おちのひと)」の略で「めのと(乳人)」も同じ。仮名草紙の「竹斎 」に「こはいかなる事やら んと、御乳や乳母が驚きけり」ともあり一語でなく並立助詞の「や」を含んだ連語と考えられ、それが 「おちゃめのと」と訛り乳母たちをさす語になったか。また「おちゃ」を年増女に対する愛称 「阿茶」と解する説もあるが、未詳。本曲の原拠となった元禄期の子守唄は

近松門左衛門作[賀古教信七墓廻]にある。古風でのどかでしかも艶やか曲.舞も軽妙、洒脱な振りがついている。

演劇出版社日本舞踊曲集成より引用