霧の雨

歌詞

霧の雨かかりて 袖に濡れつばめ  あれ見やしゃんせ鳥でさえ 

なれし所を振り捨てて 知らぬ他国で苦労する 嬰児を 

もうけてはるばると 故郷へ帰る旅の空  しおらしいじゃないかいな

解説

上方端歌。本調子。作詞作曲者不明。『粋の懐』一二編に収録されている。うた沢にもあり、また江戸の歌舞伎の下座や上方落語のはめ物にも使われる。哀愁漂う曲調のため、縁切 りの場などに合方として用いられる。 霧の雨は、秋に入って、霧のように細かく降る雨のことで、霧雨ともいうが、吉村流では、 吉村雄輝が先代の追善に作舞したので、流儀の紋にちなんで

「桐の雨」と書かれる。

 つばめが住み慣れたところを離れ、よその国で苦労して冬を越し、子供を産んで、張るに なるとふるさとへ帰って来るということを、「しおらいいじゃないか」とうたうが、「濡れつばめ」に名古屋山三をあてこみ、伊達男の代表格である山三に対する深い思いをかけた歌詞 といわれている。 

 今日も歌舞伎で上演される「鞘当」では、本花道から黒地の雲に稲妻の衣装で登場する不破伴左衛門に対し、仮花道から登場する名古屋山三は縹色地に濡れ燕の衣装を着るが、名古 屋山三といえば「濡れ燕」で、文化五(一八〇八) 年正月大阪角の芝居の嵐吉三郎と中の芝 居の三代目中村歌右衛門の名古屋山三の両座競演の際に、地唄の「濡れ燕」が作られたとい われている。 

 ただし、舞の伝承には、名古屋山三が関係するところはなく、飛ぶ鳥を見上げるなど、素直な歌詞に沿った振付がなされている。井上流では初世または二世井上八千代の振付で、扇を持ち、大勢でも舞う。吉村流は吉村雄隊の振付で、一人舞。新町系山村流でも伝承されているという

出典

別冊演劇界 伝統芸シリーズ

日本舞曲集成京舞上方舞編演劇出版社