こすの戸
歌詞
浮き草は 思案の外の誘う水 恋が浮世か浮世が恋か
ちょっと聞きたい松の風 問えど答えも山時鳥
月やは物の やるせなき 癪にうれしき男の力
じっと手に手を何にも言わず二人して釣る蚊帳の紐
好きな男に癪を介抱して貰う嬉しい女心を
表現するのが、この曲の特色です
解説
本調子端歌。歌妓首のぶ作詞。峰崎勾当作曲。 享和元(1801)年刊「新増大成糸のしらべ」初出。曲名は、本来「小簾の外」で御簾の外をさす歌語である。簾の内には密やかな色事があり、その外とは、ままならぬ恋や憂き思いということか。作者首のぶは、曲亭馬琴「羅旅漫録』によると、力士御所桜長兵衛の娘で、安永(一七七ニー一七八一)の頃、祇園の芸妓であったという。「顔色絶麗」で「全盛類なし」と記されている。 富豪の三井氏がのぷに入れあげて、十万両もの大金を費やしたが、三井の親戚や番頭がこの主人を伊勢松坂に蟄居せしめたという。のぶは、松坂へ行って、その三井氏に十三年つかえ、同時に本居宣長に師事し、「源氏物語」などを学んだという。その後、京へ戻り、再勤し、初代嵐雛助や中山文七の人気役者と浮名を流した。 首のぷを愛したと伝えられる三井家当主は、地唄の作詞者でもあり、俳人としても打名な三井北家(総領家)五代目の三井次郎右衛門高英かと考えられるが不詳「浮き草案外の誘う水」は、小野小町の「わぴぬれば身を浮き草の根を絶えて、誘う水あらば往なんとぞ思う」(「古今集」)を引いており、恋の憂さを一般 に述ぺている。「問えど答えず山時鳥」は、男のすげない態度を悲しみ、やはり西行法師の「歎けとて月やはものを思わするかこち顔なる我が涙かな」(「千載集」)を引いている。本居宣長に師事して古歌を学んだとのエピソードがうなずけるような、上品で洗練された作詞である。「癪に嬉しき」からは、一転して、癪をきっかけにふと成就した恋とその嬉しさ、特に、「じっと手に手を」以下は濃艶な情景を余韻に残しつつ、品よくまとめている。「雪」の作曲者、峰崎勾当による流麗な曲調が、内容の耽美的な世界を包み込んでいる。同じく、舞も、巧妙な扇遣いなどによって、写実を避け、 情愛の深さを暗示するに留めている。前半の、思う通りに行かぬ恋を歎く部分はさておき、後半の好きな男に耀を介抱してもらう嬉しい女心の表現がこの曲の特色で、恋心を綿々と歌い上げる他の地唄の艶物と違い、頼れる人の傍にいる安堵感やその恥ずかしさ、そして、それらからにじみ出る女の艶かしさが表現されている。
演劇出版社日本舞踊曲集成より引用