竹生島

歌詞

去るほどに、是はまた勿体なくも竹生島、弁財天の御由来、委しく之をば尋ぬるに、津の国難波の天王寺

、仏法最初の御寺(みてら)なり、本尊なにかと尋ぬるに、正面童子の庚申(かのえさる)、聖徳太子の御建

立、三水四石(さんすゐしせき)で七不思議、亀井の水の底清く、千代に八千代にさざれ石、巌となれや八

幡山、八幡に八幡大菩薩、山田に矢橋(やばせ)の渡し守、漕ぎ行く船から眺むれば、女波男波(めなみおな

み)の絶間より、左手(ゆんで)に高き志賀の寺、右手(めで)は船路(ふなじ)でかた男波、沖なる遥かを見渡

せば、昔聖人のほめたまふ、余国に稀なる竹生島、孝安天皇の御代のとき、頃は三月十五日、しかもその

夜はつちのとの、己(み)を待つ辰の一天に、二股竹を相添へて、八声(やごゑ)の鳥と諸ともに、金輪奈落

の底よりも、揺ぎ出でたる島とかや、さるによって鳥居にかげし勅額は、竹に生まるる島とかく、これ竹

生島とは読ますなり、弁財天は女体なれど、十五童子のそのつかさ、巌に御腰(みこし)をやすらへて、琵

琶を弾じておはします

解説

竹生島は、琵琶湖の北部に浮かぶ島で、そこには1500 年以上昔からの宝巌寺 (天照大神のお告げからできた)があり重要な文化遺産となっています。こちらは、日本三大弁 財天の一つで 弁財天を祭ってい

る代表的な神社仏閣です。1868年(明治元年)の神社分離令によって宝巌寺と竹生島神社に分かれました。難波の四天王寺から竹生島への参詣の道行きと竹生島の縁起を歌った曲です。